2009/10/13

東京の精霊

 最近、日曜日になると、奥多摩やら皇居の雑木林、六義園などに出かけている。名草戸畔(なぐさとべ)の取材で和歌山や大分に行ったとき、東京はいかに緑が少なく酸素が薄いかよくわかった。近所に駒沢公園があって、大きな木がたくさん生えているけど、なぜか和歌山のような開放感はない。たぶん、足下が自然の土ではなく、コンクリートの道路だからだ。おかげで、時々こうして近所に「遠足」に出かけないと、なんとなく煮詰まってしまうようになった。遠足といっても、出かけるのはほとんど都内。都内でよさそうな場所を探して、行ってみる。

 これは、皇居の中にほんの少し残っている雑木林の植物たち。きれいな清水も湧き出ている。






 つづいて、駒込の六義園。日本庭園だが、奥には本物の自然が残されている。




 奥多摩には、こんなに自然が。




 どこも東京都は思えない風景。普段は気がつかないけど、東京にも自然が残されている。そして自然の精霊は、本当は、そこかしこに存在している。人間の方が、精霊をみる心を失ってしまっただけだと思う。


【魔法使いのおばあさんみたいな雲】

2009/10/08

大国主とスサノオ 〜後編〜

 大国主とスサノオは、たいがい、このようにセットになっているのだが、よく調べてみるとこの二人は『記紀』にあるように、親子(同族)ではないらしい。宗教学者の松前健氏は、九世紀に完成した出雲の地誌『出雲国風土記』が、大国主とスサノオの関係についてまったく触れていないことを例に挙げ、「(スサノオと大国主は)本来、無関係であろう」と言っている。また、出雲では、先住の王家の血を引くと自称する旧家が十軒ぐらい残っていて、「自分たちは縄文時代から続く先住民、大国主の末裔。スサノオは別系統の部族」と語っているという。面白いことに、文献を調べている学者も、旧家の口伝(地元の伝承)も、似たようなことを言っている。

 そういえば、『日本書紀』ではスサノオは新羅の国から来たと思われる記述があり、出雲の伝承では秦の国からやって来た渡来人と伝えられているそうだ。つまり、文献と伝承、どちらもスサノオは渡来系の部族という認識をしているように思う。渡来人とは、どう考えても弥生人のことだろう。弥生人の子どもが縄文から続く先住民の大国主というのは、どうも、つじつまが合わない。すると、「大国主はスサノオの子ども(または六世孫)」という設定は、八世紀に『記紀』が編纂された際、作られたのではないか。考えてみれば、スサノオの子が大国主であれば、日本列島には先住の人たちは存在していないことになる。おそらく、この設定は、百済や新羅の渡来系の人たちが中心だった八世紀の中央政府によって、意図的に作られたのだろう。

 大国主を祀る神社には、必ずスサノオが頭にくっついてくるが、これも『日本書紀』成立後の八世紀以降のことと考えられる。だからスサノオの神社は全国にたくさんあるように見えるが、よく伝承を調べると、実際の祭神は大国主の地域もあるかもしれない。スサノオの方が後から上書きされたケースも多いのではないか。『記紀』にスサノオの子と書かれたからといって、大国主の正体が完全に消せるわけでもない。八雲の「氷川神社」や伊豆の「来宮神社」のように、大国主についてリアルな伝承が未だに残っているのは、かつて先住出雲の人たちが列島に暮らしていた名残なのではないだろうか。大国主の物語は、正史とされる文献ではなく、旧家の口伝や伝承の形で伝わってきたのかもしれない。対して、スサノオの八岐大蛇退治の物語は『出雲国風土記』にないため、地元の伝承ではないという説もある。八世紀の宮廷の物語作者によって、政治的な事情で創作されたという見方も多い。

 大国主伝承については、二年程前、名草戸畔の取材で和歌山を訪れたとき、興味深い話を聞いた。ライターの北浦さん、Iさん、社長、フォトグラファーのマリちゃんと、貴志川の「大国主神社」に出かけたときのこと。たまたま神社を散歩しているおじさんに出会った。おじさんは、氏子の村々や、神社のそばを流れる国主淵(くにしのふち)に伝わる伝承について、ひとしきり語った後、突然こんな話を始めた。
「この間、氏子の青年団で、熊野の本宮大社にお参りに行ったんです。熊野古道を歩いて行ったんですよ。本宮大社で、徒歩できたことを話したら、宮司さんがこういうんです。『どうして、そちらからわざわざお参りにいらしたのですか。あなたたち(大国主神社)のほうが偉いのに』」
 もしかしたら熊野の宮司は、スサノオより大国主のほうが古くからこの土地に住んでいたことを知っているのかもしれない。和歌山は、今も、古代が生きている不思議なところなのだ。

和歌山県貴志川町の「大国主神社」

 とはいえ、大国主が祀られた地域はすべて、縄文時代からの先住民が途絶えずに暮らしていたと断定することはできない。スサノオは、出雲の阿国などの旅芸人集団が各地に広めたため、中世以降になって、全国規模に広がったという説もある。それと一緒に大国主も祀られたはずだ。ややこしい話だが、古くからいる大国主と、中世になってスサノオにくっついて祀られた大国主もいるらしい。スサノオについても同様で、古くからのスサノオ伝承の残る地域もあれば、八世紀以降、中世以降に祀られた地域もあるだろう。つまり、先住大国主と渡来系スサノオは、時代が下るにつれ渾然一体となって広がっていったのだろう。いつのころからか、先住、渡来の区別などなくなり、混ざり合っていったのだ。大国主の草木の薬を使った病気封じの伝承と、八岐大蛇退治の舞が渾然と共存している八雲の「氷川神社」もその一つの例と考えられる。

東京八雲「氷川神社」の神楽殿で披露される剣の舞

参考文献:『出雲神話』松前健(講談社現代新書)『幸の神と竜』谷戸貞彦(大元出版)

2009/10/07

大国主とスサノオ 〜前編〜


 わたしのアトリエの近所にある、「氷川神社」。たまに黒いアゲハチョウが飛んでいる、あの神社だ。社務所の資料によると、祭神は「須佐之雄尊」「稲田姫尊」「大国主尊」の三柱。9月の半ばに行われるお祭りでは、毎年、スサノオの八岐大蛇(やまたのおろち)退治の舞が奉納される。この神社では、大国主の伝承も残っている。資料には次のように記されている。

当神社ハ------大国主尊カ草木ニテ薬ヲ製シ諸病ヲ禁圧シ、又須佐之雄尊カ悪神ヲ切リ従ヘシ古代ノ御事績ニ因リ諸病ヲ封シ、特ニ胃癪ノ封ハ当社伝来ノ秘宝二因リ祈祷ヲ為ス、大祭ノ折ハ有名ナル劔ノ舞アリ

 わかりやすいうと、当社は、大国主が草木を薬にして病気を治し、スサノオが悪神(八岐大蛇)を切ったという古代の事績によって病気を封じる。特に胃の病気封じについては、当社伝来の祈祷が行われている。大祭にはかの有名な剣の舞がある。

 胃の病気封じについては、もう一つ伝承がある。手前の拝殿の奥に、小さな奥宮があり、ここに朽ち果てた巨木の根元が注連縄をかけて祀ってある。神社の看板によると、かつて、この木の皮は胃病に効くと信じられて人気が高く、遠くからもたくさんの参拝客が訪れて、木の皮を少しずつはいでいったという。そのせいか、今はもう枯れてしまい、根元しか残っていない。つまり、この木は、「大国主が草木を薬にして病気を治した」という伝承の影響で神聖視されたらしい。

 東京の八雲(旧フスマ村)に伝わる大国主の伝承は、木の皮や薬草の知識に長けていたというふうに具体的で現実的だ。大国主の伝承は全国各地にあるのだが、やはり具体的な内容が目立つ。伊豆の「来宮神社」には、「昔、大国主の一族がやってきて、温暖で過ごしやすく温泉が湧く伊豆を気に入り、ここに国を作った」という伝承が残されている。これに対してスサノオの方は、悪の象徴である八岐大蛇を切る、という神話的な物語になっている。『古事記』『日本書紀』では、この大国主とスサノオは親子として描かれているため、こうして一緒に祀られている。

2009/10/02

絵本作家、仁科幸子さんの不思議な世界

 ある日のこと。知人の紹介で、絵本作家の仁科幸子さんにお会いすることになった。知人によると、仁科さんは山梨県にお住まいで、豊かな自然のなかで創作活動をされているという。ネットをみてみると、動物や花の精霊のかわいらしく美しい絵本がいっぱい出てきた。その絵を見た瞬間、お会いするのが楽しみになってきた。

 お会いしたのは、夜の新宿。仁科さんは、不思議な生命力にあふれていて、そこにいるだけでまわりの空気がぱっと明るくなるような方だった。もし、そばに花のつぼみがあったとしたら、つぼみがぱーっと開いてきそうな感じがした。夜の新宿のカフェにいることを忘れてしまいそうだった。仁科さんの絵本を読んで、不思議な空気の理由がわかった。



『はなのがっこう』は、花の精霊のおはなし。かわいい精霊たちが、一生懸命お花を育てる様子を描いた絵本だ。カバーの見返しには、こう書いてある。

はなが きれいに さくためには 
おひさまや あめや つちが ひつようです。
でも それだけでは ありません。
はなの おせわを する 
“はなの がっこうの こどもたち”が
どんなことを してくれているのか
おはなししましょう。

自然のなかに、目に見えない生命力がはたらいていることを、可愛らしい精霊がおしえてくれる。子どものころからこんな素敵な絵本を読んでいれば、きっと想像力豊かな人になるだろう。大人が読んでも、心のおくにある想像力が生き返ってきて、楽しい気分になれるはずだ。

『ハリネズミとちいさな おとなりさん1 なんにも しない いちにち』は、「ハリネズミ」と「ちいさな おとなりさん」のささやかな森の暮らしを描いた六つのお話。「ちいさな おとなりさん」とは、ハリネズミくんのお隣に住むリスのこと。この「ちいさな おとなりさん」という表現がかわいくてたまらない。くもを眺めたり、きいちごのジュースを飲んだりという、仲良しふたりの何気ない日常が、じつは、とてつもなく幸福である、ということがわかる絵本。



『よるが きらいな ふくろう』は、夜をこわがっている、ふくろうのお話。ある晩、そんなふくろうのもとに、「あそびにいこうよ」と美しいガがやってくる。ふくろうは、それから毎晩やってくるガに、次第の心を開いていく。最後はどうなるのかは、読んでのお楽しみ。

『白い月の笑う夜』は、キツネが住む小さな島の物語。この島には、五色のキツネが住んでいた。それぞれのキツネたちは仲良く暮らしていたが、ある問題をかかえていた。そんなキツネたちは、あるしきたりを守っていた。それは、月に一度、満月の夜に行われるという……。色とりどりの美しいキツネたちが暮らす不思議な島の物語。五色のキツネがそれぞれの文化をもっている姿は、動物を人間の下と思わず、人間と同じぐらい賢く神聖なものと思っていた古代人たちがみた世界のように思える。同時に、人間社会の批評の要素もある。ダイナミックな絵がすばらしい、奥深い作品。

 みなさんも、ぜひ読んでみてください。